おたくの文章

ミーハーです!

朝ドラ

これを読んでいるあなたは「らんまん」を見ているだろうか。こんなにもド直球フェミニズムの朝ドラをやっと、本当にやっと見られる今を逃さないでほしい。

朝ドラは主に女性の人生を描くことが多い。しかし、「花子とアン」や「あさが来た」のように大事を成す女性が主人公のときもあれば、「ゲゲゲの女房」や「マッサン」「まんぷく」などのように大事を成す男性を"内助の功"で支える女性を描くこともある。(そしてもちろん、「あまちゃん」や「舞いあがれ!」など、歴史に名を残すような大事は成さずとも日々を生きる女性の人生を描くこともある。)

今回の「らんまん」は恐らく後者の朝ドラだ。このあと主人公は女性と結婚し、自分はのびのびと研究にまい進して家庭のことは女性に任せきりにするだろう。それでも私はこのドラマを少なくとも現時点ではフェミニズムだしポリティカルだと思っている。

主人公の万太郎は地元の城主に代々酒を献上してきた造り酒屋"峰屋"の長男だ。それゆえ、勉学に長け植物を愛することやのんびりとした朗らかな性格を周囲の人は好ましく思わず「ありゃだめだ」と呆れられている。その代わり、万太郎の姉である綾は酒づくりの仕事を愛していて、峰屋にプライドを持っているし、商品開発にも意欲的だ。しかし、綾は「酒蔵の神さんは女子が嫌い」だから酒蔵に入ることを禁じられ、嫁に行くよう何度も見合いをセッティングされている。綾は作中で、男である万太郎と女である自分の性別があべこべだったら良かったのにと語る。しかし、もしそうだとしたら、このドラマはここまでフェミニズムとポリティクスを直球で訴える作品にはならなかっただろう。

この作品はそれぞれの登場人物が大好きなことを楽しむ様子を大切に描いている。それは菓子のひとつをとっても「かる焼きなんて駄菓子ですよ」「それをお好きな人が来てるの」と、どんな些細なものでも、それを好きであることの重要さを示唆される。

しかし、万太郎にとっては家が、綾にとっては性別が、その大好きなことの足かせとなっている。それらを取り払って大好きな道に進むには、出自で人を区別しない民主主義の力が必要であり、家父長制を打破するフェミニズムの力が必要だ。だからこそ万太郎と綾は逸馬と「民権ばばあ」に出会う必要があった。彼らに出会ったからこそ、万太郎も綾も大好きなことを大好きでいて良いのだと知ることができた。

今作のヒロインである寿恵子も、大好きなことに全力で取り組んでいるところが微笑ましい。何重もの意味で「見たことがない世界」に憧れをもつ寿恵子と、それを笑顔で肯定する万太郎。万太郎のきらきら光る語り口調に、眩しそうに見上げる寿恵子。ひさびさに物語作品に登場するヘテロカップルで「ああ、あなたはあの人のこういうところにちょっと惹かれを感じるのね」と納得ができた。寿恵子がこの先どんな世界に足を踏み入れるのか、そして植物以外のことはわりとボンクラである万太郎とどのようなパートナーシップを築いていくのか。「どうせ家庭は置き去りでしょ」という身構えはありつつも、少々楽しみな気持ちが隠せないでいる。どうか寿恵子のエネルギーに満ちた大好きの気持ちを押し殺させないでほしい。寿恵子、見たこともない世界を生きる女であってくれ……。

いつの世も、現実を生きる私達の世界でさえも、大好きなことに全力でいるためには民主主義の力が必要だ。そして、このドラマを見て「フェミニズムは男性をも解放する」とあらためて確信した。

そしてもちろん、逸馬や竹雄、十徳長屋の面々など、大好きなことを見つけるそれ以前の立場にいる人々が今後どのようになっていくのかも見届けていきたい。