おたくの文章

ミーハーです!

HiGH&LOW THE 戦国

歌舞伎町の「再開発」「仕切り直し」の代表作とも言える東急歌舞伎町タワー。

眼前には昨年ごろ大きく話題となった末に大量の柵で囲まれた「トー横」があり、訪れるたびにやるせない気持ちになる。

トー横に逃げてきた未成年を見えなくしたところで何か解決したのだろうか。臭いものに蓋をしただけではないか。

そうしてトー横を通り過ぎながら、キレイでおしゃれで高級な感じのある東急歌舞伎町タワーの中にある劇場、ミラノ座で「HiGH&LOW THE 戦国」は上演された。

 

戦国と聞いた時は一体どうなるのかと思ったが、中身は立派なハイローだった。

「この喧嘩、誰かが裏で糸を引いている!」といういつものアレをやっていた。何度思い返しても、ハイローのアイデンティティってそれなん?と笑ってしまう。

そんな無茶苦茶さも健在しつつ、弦流から湧水に対する恋愛感情を「男と男のアツい感情」に逃げずにラブロマンスとしてしっかり描くなど、新しい表現に挑戦する一面も見られた。

ただし、男性を愛する男性である弦流に自虐をさせたり、恋愛感情について謝らせたり、果ては感動する場面として弦流を死なせたことなどは、これまでLDHが行ってきたプリロワ等での表現の域を出なかった。そろそろLDH作品のなかで「堂々と幸せを勝ち取る笑顔の同性愛者」がメインで描かれてほしい。

キジカイというラブラブなクィアカップルが描けるのだから、きっとできるはずだ。

そして、湧水が「男と男が見つめ合う時代がきっと来るぞ」と弦流に語りかけるシーンを見るたび、現代日本では同性婚もままならないことを思い出していた。そのたびに絶対に投票に行こう、つぶさに情報を見て自分にできることがあれば参加しよう、と誓った。私、絶対にやるから、見てて!

 

また、黄斬が刀を持つことになる展開について、私はとても悲しく感じた。黄斬は弱いのではなく優しいのだ。その優しさを捨てないでほしかった。優しさを捨ててしまうことを肯定するような脚本にしないでほしかった。

刀という武器を持ち人を斬ることが後悔や無念に打ち勝つことに、はたして本当につながるのだろうか。暴力ではない手段で国を復興させようとする黄斬の考えは、現代社会の「非暴力」の概念に通じるところがあるのではないか。「戦国時代だから」という理由で片付けないでほしい。なぜなら、この作品は2024年の日本社会で作られているのだから。

私は、黄斬のような人が人を殺さなくても、よりよい未来は作れるはずだと言っていきたい。

黄斬は優しい。吏希丸も優しい。ふたりともが己を犠牲にすることなく、未来を信じていける結末が欲しい。優しい人が優しいままでいられる時代を、せめて私は作っていきたい。

 

物語の始まりと終わりに、黄斬は「この乱世を生きろてめえら!」と叫ぶ。それは黄斬の叫びと言うよりも、この作品が観客に伝えたいテーマであり、きっと人によっては野暮、口うるさいだと感じただろう。それでも私は、この叫びからかなりのエネルギーをもらっていた。

作品内でもそうだったように、今の現実の社会もさまざまな人がいて、さまざまな社会問題にぶち当たって苦しんだり、個人的な悩みを抱えて悲しんだりしている。

同性婚はいまだにできないし、クィアな人々は今でも毎日偏見や差別に晒されている。一部の政治家が莫大な裏金で私腹を肥やす一方で、今日食べるものにも困って数百円の万引きで逮捕される人がいる。その他にも、さまざまな面で苦しんでいる人々がこの日本社会に存在している。

「この世は混沌としている」と割り切ってしまえたら楽だけど、私はそんなふうに諦められない。私にできることをして生きやすい人が増えるならそうしたいし、私がちょっとだけ頑張ることで明日を生きられる人がいるなら頑張りたい。

だから、こんなカスみたいな世の中でも、ちょっとずつ良くなれるように自分を律し、努力しようとしている。この作品からの叫びを、私はバカにしたくない。

 

創作物には影響力がある。これは否定しようがない事実だ。

だからこそ、ミラノ座に来るたびに物語のメッセージと現実世界の解離にちょっとずつ気持ちが削がれていたし、弦流の描き方に対して「おためごかしの多様性なのではないか」と疑うこともあった。

それでも、ハイロー本編でIR開発に伴う政治家の汚職や、都市部の再開発に伴う野宿者の排除についてのド直球の批判をあまりにもド直球に描いたことの方を、私は信じたい。

だから私は作品の叫びから、この社会を生きるための勇気を受け取りたいのだ。

 

つらつらと書いていたらあまり肯定的な話ができなかった。

これでも私はザ戦が大好きで、そばで見ていてくれた人にはこの胸の高揚がダイレクトに伝わっていたのではないかと自覚があるほどだ。

尊武国が有害な男性性を克服するための愛の話をやっていたのも、湧水が弦流の気持ちを無下にせず、バカにもせず、むしろ湧水自身が家父長制の犠牲者であると描いていることも、黄斬が民主主義を信じている言動をするのも大好きです。