これまで生きてきて、嫌だと言ったことを尊重された経験がすごく少ない。
好きとか「したい」とか、そういうことは尊重されたような気がするけど、嫌だとか「したくない」とかは、言ったら白けるし、嫌われるし、鬱陶しがられるから言わないほうがいいんだろうなと自然と学習してきた。
自分のことをAROACEだと認識しなければ、このことに一生気が付かないまま死んでいたかもしれない。
セックスはセックスを「したい」人同士のみで行うべきだと私は考えているが、世の中はそう単純にはできていないらしい。「我慢すれば」とか「苦痛とまでは言えないから」とかで意識的あるいは無意識的に相手に合わせてしまう人もかなりの数存在しているように思う。
相手に合わせてあげた人の小さな小さな「嫌だ」の声は、「愛」や「恋」といった耳ざわり良い言葉に塞がれて、誰もが(時には本人でさえ)聞こえないふりをする。
そんなものの何が愛で恋なのか、私には全く理解が出来ない。全然ロマンチックだとも優しさだとも思わない。
私は「あなたは嫌だって言っていいんだよ」と叫びたくなる。もしこれが友人からの相談だったら、目を見てそう伝える。
皆もっと嫌だって言っていいし、それは尊重されるべきだ。
わかりやすいし、私が「嫌だって言えないのって変だな」って気がついたきっかけがこのことなのでセックスで例えたけど、セックスだけじゃなくても、色んな場面で同じことが言えると思う。服装のことだったり、自分のプライバシーをどこまで開示するかだったり、食べ物、推し、人との集まり、なんでも。
なんでこんなにも嫌だって言えないんだろう。
私は今日もやめてほしいことをやめてほしいって言えないまま愛想笑いをしていた。嫌だって言う練習を私から始めよう。