おたくの文章

ミーハーです!

ここから出るなの線

私はボーイズラブが好きだし、すごくいい文化だと思っているけど、ボーイズラブ(と百合)に同性愛についての全部を任せようとする昨今のメディアの傾向にはうんざりしている。

ボーイズラブや百合はあくまで小説や漫画などの作品ジャンルのひとつであって、別にボーイズラブや百合を名乗らなくても、どの作品でどのように同性愛を描いても自由であるはずだ。

ボーイズラブ」をジャンルに冠さないコメディ漫画の主人公が当たり前にゲイであっても、「百合」と名乗らないSF小説の重要な登場人物が当たり前にレズビアンであっても、何も問題がないはずだ。それなのに、ボーイズラブや百合と名乗らない作品では、極端に同性愛描写が少ないと思わないだろうか?

最近ではNetflixなどの配信サービスが充実し、海外で作られるエンタメ作品がより身近になったからなのか、ボーイズラブというジャンルが幅広く社会に浸透しつつある日本におけるメディアのこの傾向をより意識するようになった。

いくら深夜帯のドラマに「ボーイズラブ」や「百合」とジャンル分けされた作品が多く作られても、それがどんな流行になったとしても、朝ドラの主人公は異性愛者だし、少年ジャンプで描かれる女性キャラクターの多くは(異性愛者)男性の欲望を受け止めてくれそうかどうかで評価される。

ボーイズラブや百合を描いた作品が流行しても、あくまでそれはボーイズラブや百合というジャンルへの評価であり、決して同性愛への理解が社会に浸透したことの表れではない。

 

その証拠に、日本ではボーイズラブや百合という言葉を無くすと、同性愛は突然シリアスなテーマになってしまう。(残念ながら)同性愛に対する差別が現実に存在することは前提としても、フィクションなのだから別に超ハッピーなキラキラ同性カップルが描かれても何も問題はないはずだ。

しかし、なぜかそうはならない。未だにボーイズラブや百合を名乗らない作品では、同性を好きになって苦悩するキャラクターが多いし、最悪の場合には好きになった異性愛者を助けるために死ぬ。江戸川乱歩が孤島の鬼を書いてからいったい何年たたったのやらとため息をつきたくなる。

それだけでなく、ボーイズラブや百合という前置きがなく同性愛描写があったとき、受け手(視聴者や読者)までもが「ボーイズラブが見たいときはボーイズラブを見るから、ボーイズラブじゃない作品で同性愛描写は見たくない」などと平気で主張し始める。※1

 

私には、上記のことすべてが「お前たちはここに引いた線から出てくるな」という声に聞こえる。「ボーイズラブや百合という居場所を与えてやったんだから、そこで満足してろよ」という声に聞こえる。

同性婚に対するアンケートなどでは賛成する人が多いように思うのに、この現実とのギャップはいったい何なんだろう。結局「私たち異性愛者が見てていい気分(キャッチーな消費の快楽や感動ポルノで得られる善行をしたような快楽)でいられるものなら存在してもいいよ」ということなのだろうか。

そうだとしたらものすごく悲しいし、死ぬほど腹が立つ。この世界を呪いたくなってしまう。

ボーイズラブや百合は、「多様性」の全部お任せセットではない。多様性は誰かがいい気分でいるためにあるのではない。

私がもっと同性愛描写をと求めるのは、現実がすでに同性愛にあふれているからでもある。現実には同性愛者がかなりの数いて、そして私のように誰とも恋愛をしない人もいて、それが当たり前で自然なことなのだ。自然なことなのに、なぜかこれまでのエンターテインメント作品では存在しないものにされてきた。そんな不自然な常識をいつまで続けるつもりだろうか。現実には、異性愛者と同性愛者のなかに線引きなんかできないのに。

だからこそ、同性愛はいろいろな作品で描かれるべきだし、同性愛を描いたからとボーイズラブや百合をいちいち前置きにする必要はないと私は考える。※2

主人公がレズビアンで、レズビアンである理由は特にないけど胸キュンシーンのある朝ドラが見たいし、主人公の少年が一目惚れした男の子を救うために世界を股にかけて冒険をする漫画が少年ジャンプで連載されても、何も問題ないはずなのだ。

私はボーイズラブが大好きだけど、いつか、ボーイズラブや百合というジャンルを名乗らなくても、同性愛者のキャラクターが堂々と主人公となり、幸せになる物語が日本社会にたくさんあふれてほしいと願っている。

 

※1

これは「消えた初恋」がドラマ化され、前情報なく見ていた視聴者たちによって何度も吐き出された感想で、私はめちゃくちゃ楽しみにしていたドラマなのにと悲しくて何度も泣いた。別冊マーガレットで男子高校生同士の恋愛を大切に描こうとした作者と編集者たちの決意と熱意について真剣に向き合ってほしい。

※2

ボーイズラブには女性たちが家父長制の暴力に抗ってきた歴史があるし、百合には男性からの性的な欲望から脱却してレズビアン当事者の作者が多く活躍する事実がある。そこに対するリスペクトは忘れてはならない。