おたくの文章

ミーハーです!

憧れは恋に似ている

「憧れは恋に似ている」と確信したのは、《劇場版アイカツ!大スター宮いちごまつり》を見たときだった。

いちごから美月への想いを聞いたシンガーソングライターの花音が「恋みたいな気持ち」と表現した台詞によって、私は私がなぜ特定の人物たちを恋人と呼べる関係性として想像する、いわゆる二次創作をしてしまうのかに気がついた。

私は自分自身の人生経験において、特定の誰かと恋人と名付けられるような特別な関係性になりたいと感じたことがない。つまり、恋愛をしたことがない。それどころか、誰かと恋愛関係を望む人たちの話を聞く度に奇妙な生きものを観察するような気分になるくらいだ。それなのになぜか物語作品に登場する特定の人物たちを恋人関係として想像してしまう。この矛盾は何か。自分自身が一番不思議に思っていた。

しかし、先述のシーンを見て、やっと自分が憧れと恋愛感情をごちゃまぜに認識していることに気がついたのだ。(恋をしないのになぜ恋愛感情が分かるのかと疑問が投げかけられそうだが、この世はありとあらゆるところに恋愛が溢れているので、この社会で生きていれば自分自身にその経験がなくともだいたいのところは学習できるのである。あなたが恋愛感情を間違いなく恋愛感情だと判別できるのも、あなたが恋愛を社会から学習したからだ。)

どうやら、私はありとあらゆる人間の感情の中でどうしても憧れというものに惹かれているらしい。このブログにもすでに書いたように、私は井伏鱒二の「鯉」がとても好きだ。この作品は、主人公の"私"が青木に憧れを抱いていた気持ちがとても美しく描かれている。アイカツ!星宮いちごも、きっと神崎美月が死んだら、神崎美月が大切に飼っていた鯉がほかの魚を引き連れて悠々と泳ぐ姿に満足したことだろう。霧矢あおいも、大空あかりも、星宮いちごの飼っていた鯉が広いプールで泳ぐ姿を眩しく見つめたはずだ。そして、私はそれらを見るとどうしても恋愛あるいはそれに近いものとして捉えてしまう。そのことをずっと恋愛経験がないばかりに拡大解釈をしているとネガティブに考えていた。しかし、劇場版アイカツ!で花音は憧れの感情は恋愛に似ていると言ったのだ。なんだ、他の人も憧れと恋愛って似てると思ってるんじゃん! いちごも花音の言葉を否定しないし、あかりは「星宮先輩の気持ち、わかるから」といちごの後押しをしようとする。ああ、みんな、憧れと恋が似てるってことを否定しないんだ! 見ていた時の私はこの発見に大興奮だった。

憧れは恋に似てキラキラと眩しい。誰かに強く憧れる気持ちはとても美しく、そしてこの社会で学んだ恋というものによく似ている。だから私は憧れをトリガーとして、彼ら彼女らの関係性を物語の外にも求めてしまうのだ。

 

そういえば、最近読んだ虫歯さんの作品たち(『2と車』『フェイクファー』『神様はたぶん左利き』)も、自分には無いものを持っている人への強い憧れの気持ちが眩しく、美しく、切なく、ときどき苦しくなるくらいに描かれていて、とても感動した。特に『神様はたぶん左利き』は何か取り組んでいることがある人には深く刺さる作品ではないだろうか。少なくとも私は絵を描くことが好きな人間なので、読みながら登場人物たちに感情移入してしまった。おすすめだ。

 

アイカツ!の新しい劇場版作品が多忙により見られず、悲しい気持ちをごまかすためにこのブログを書いた。

アイカツ!についてもう一つ話したい。結婚してアイドルを引退した女と、前線を退いてからも後進の育成を行いアイドル業界を牽引する女が「あなたと歌う私が一番きれい」と歌うのがフェミニズム的でめちゃくちゃ好きだ。女たちの多様な人生の祝福。