おたくの文章

ミーハーです!

HiGH&LOW THE WORST Xを見た

ネタバレ全開でとりとめもなく書いていくので、ご注意ください。そして思いついたら追記しています。

 

正直、前作(劇場版のTHE WORST)がとてもよくできたハイローのスピンオフ作品であったため、あまり期待はしていなかった。

そもそもコラボ先であるクローズシリーズをほぼ知らないので、前作の終わり方に対して「私の手を離れていくなあ」という感慨があった。もちろんハイローもザワも私が作った作品ではないのだが、今まで私の「好き」のエリアにあったものが徐々に移動していくという感覚を持っていた。ドラマ作品の6ザワが私の感性アンテナにはあまりヒットしなかったことも、そう感じる理由の一つだ。

 

万物は流転するし、正史のハイローもすべてのものは変化するいうテーマを持っていたし、まあ、そういうものだろう。寂しい気持ちもあるが、恨んだり、悪く言って憂さ晴らしをするような気持ちはない。

私は今でもハイローが好きだ。「すべてのものは変化する」という全人類に当てはまるような普遍性のあるテーマだけでなく、東京オリンピック開催の背後で次々と居場所を消された野宿者たちのことや、大阪や横浜で起こった(起きている)カジノ開発計画、日本の政治家の汚職問題などをエンターテイメントとして昇華した素晴らしい作品群だったと思っている。

話がずれるが、役者ありきで作られる"イケメンもの"のコメディ作品としては珍しく、同性愛的な描写の美味しいとこどり(クィアベイトともいう)はせずに、同性愛者をこの世に存在する人間として描いた点で、私はプリレジェにも好感を抱いている。

LDH系の作品は、彼らの出で立ちから連想されがちなイメージとは真逆で、社会・政治的な思想を持っているものが多い。彼らの理念である「ラブ・ドリーム・ハピネス」はよく小馬鹿にされることもあるが、ことなかれ主義を装って差別的な思想を全く無自覚かつ無邪気に垂れ流す多くの日本の芸能人よりも、この世に残る差別や不条理を少しでも克服しようとする点で優れている。(しかしながら、女性差別に関して彼らLDHはもっと真剣に向き合ってほしいとも思ってもいる。)

 

話を戻す。

そんな大好きなハイローシリーズがちょっとずつ私の好きのエリアから遠くなっていくことに寂しさを感じつつも、迎えた「THE  WORST X」。

「人は変わるものだけれど、その変わり方には良いものも悪いものもある」というザムのテーマに帰ってきたような作品だった。

幼少期、素直で友達思いだった頃の天下井公平(なんともいじわるなキャラクター名の付け方だ)との思い出をずっと大切にしている須嵜亮に、九十九の姿をリフレインさせてしまった。

序盤から伏し目がちで思い詰めている様子の須嵜と、「人には2つの種類がある」などと借りてきた言葉そのままに人を支配しようとする天下井。「お〜い!! 須嵜の感情に気づいて〜!!!」とスクリーンに叫びたくなるもどかしさが二人の周囲には漂っている。

琥珀がどうなろうと隣にいるのが自分の使命だと誓う九十九のように、須嵜もたとえ天下井が地獄に落ちようと天下井の隣に居続けただろう。天下井が須嵜との思い出を思い出して本当に良かった。ナイフなんて危ないものはもう使っちゃだめだよ。

とにかく今回は天下井と須嵜の二人のストーリーが非常に良かった。ただ、天下井も須嵜も典型的なヤンキーものに出てくる"バカ"なキャラクターではないので、なんというか「もうすこし大人になった二人が企業して、経済界のテッペンを目指す小説を池井戸潤に書いてほしいな……」とかすかに思っている。池井戸潤、ハイロー見た!? 二次創作せん!?

 

天下井についてもう少し書くと、天下井が「支配する人間と支配される人間」といったことを話すとき、口語ではなく書き言葉で話し始める点も良かった。

人から言われただとか本で読んだとか、あとから身につけた言葉であり、天下井自身も(今は傷ついているからその言葉に縋ってしまうけど)心の底から信じているわけではないのだなあと感じられるものだった。脚本の台詞回しがマンガ的すぎて違和感のある部分がところどころ生じていたが、この点に関しては(知って知らずか)台詞に関する違和感がうまく機能している部分だったように思う。

天下井と須嵜が生きるこの先の未来が少しでも明るいものであるように願う。二人の続編、池井戸潤に書いてほしいな〜。

 

今回の作品は、ニコイチの解体と、それを描くことでのコンビ愛の確認を行う物語だったのだろう。泰清一派の二人が繰り広げるどこか間抜けなやり取りと、バトルシーンでのメリハリは流石にお二人ともが演技を生業とするからこその、見ごたえのあるものだった。

それでも少々しつこいなと感じる展開だった。すべてのチームが片割れを失う展開は、脚本を作る側として必要なものだったのだろうが、見ている側としては「何したいか分かったからもういいよ」と言いたくなってしまうものだった。

特に鳳仙に関しては前作に続いて四天王が頭を割られ過ぎである。序盤で楓士雄が四天王から見どころのある者として認められている点と、佐智雄が根回しをしている点、そこに「司が攫われた」という理由があれば、鳳仙の参戦理由としては十分だろう。こんなに四天王がやられると、鳳仙が弱いように見えてしまわないか? いくら、小田島とシダケンが幼なじみで、鳳仙の中のニコイチだから、今回の脚本に必要だったとしてもだ。

轟が小田島にシダケンの居場所を伝えるためだと思うが、轟が泰志のスマホを借りたまま返してないのも気になったし、もしそこで小田島と轟が話したなら、楓士雄が予め鳳仙に頭を下げに行ったことを轟が知らないのもよくわからない。佐智雄不在の現在、実質的に鳳仙のブレインである小田島が仁川からそのことを聞いていないはずもないし、あえて小田島が轟に黙っておく理由もない。ていうか、みんなもシダケンがやられたって聞いたときの小田島のリアクション見たかったよね!?

こうして見ている最中に引っかかりを覚えるような脚本を見るのは辛い。ハイロー本編を見ているときに「は?」と思ったこともあるので、もはやこのシリーズの醍醐味とも言えるのかもしれない。 

それでも、今回の脚本に関しては、メインのストーリーがこれまでに輪をかけてシンプルな分、少なくとも見ている最中、すぐに気がつくような点に関してはもう少し丁寧に作ってほしかったと感じてしまった。

あとからインタビュー等を読んでいると、小田島の台詞が一つカットされているということらしいので、もしかしたらこの轟と小田島の電話シーンだったのかもしれない。そうだとしたら、やっぱり代替案が欲しかったな。惜しい。

また、特に瀬ノ門での戦いで「俺がここを守る。お前は先にいけ!」的展開が多すぎて、こちらもしつこく感じた。かっこいいし憧れるし何度でもやりたい気持ちは理解するが、いくらなんでも多すぎる。短時間に同じ展開が重ならないよう工夫がほしかった。

今回は初登場のキャラクターがあまりにも多いので、その分散らかった印象を抱いてしまったのかもしれない。

 

そうした私の不満もありつつも、やはり今回も轟というキャラクターの魅力には抗えないのであった。

轟一派に対し、お互いに干渉しすぎない、しかし信頼していないわけでないと無言のうちにも感じられる点が轟にとって心地よく、安心できる居場所なのだと思っているのだが、今回の轟は一味違った。

江罵羅の二人に辻と芝の件を確認するやいなや、顔の筋肉を引きつらせて「殺す」と宣言する轟を、あなたは見ただろうか。連合からの足抜けを取り付けて楓士雄に報告する轟を、あなたは見ただろうか。私は見間違いかと思った。

轟は本当に言語コミュニケーションを覚えたんだなと感慨深くなった。以前の轟だったら、突然江罵羅に赴き、全員を見境なく、宣言するまでもなく殺して帰って来ていただろう。楓士雄にも誰にも報告もしないし、殺し屋のようにすべてをひっそりと終わらせていたはずだ。(そしてまだボロボロの状態の辻と芝が楓士雄に報告するのだろう。)

楓士雄にありがとうと頭を下げられたシーンでも、きっと以前ならすぐに手(というよりも脚)が出ていただろう。ちゃんと訳を聞けるようになったんだ。偉いな……。

今回轟が読んでる本は「フィリア」というタイトルだった。無学なので家に帰ってグーグル検索をしてみたら、主に哲学用語で友愛を意味するらしい。前回は地獄の底からやってきたみたいなテンションで君主論を読んでいたのに、この変わりよう。そして、友愛を本で学ぼうとするあたりが、いじらしく愛おしい……。一応前作からは3ヶ月ほどしか経っていないということで、楓士雄たちと信頼関係を築いているとしても、まだ轟にとって「友達」という概念にはハードルがあるのかもしれない。

人間に心を開くことを学んでいる轟をこれからも見守りたい。

しかし、それにしても体育館で名もなきモブ不良に膝をつかされてブチギレるシーンは「不良狩り」をしていた頃を思い出させて、そこもまた良かった。人間は変化するけど、変化しない部分もある。轟は自分より格下の相手に膝をつかされたらブチギレる。そこは変わらない。

 

それと、辻が轟について聞かれて「いつも一緒にいるわけじゃねえんだよ」とあたり前のことを返すのも良かった。以前も轟は釣りに行っていると芝が説明していた時も思ったが、人と人とが信頼しあっている点と、行動を共にするかどうかという点はそれぞれ別の判断基準であり、矛盾しないものとして語られるのが、私はとても好きだ。轟が辻と芝を信頼しているのって、きっとこういう理由もあるのだろうなと想像できる。

辻と芝と轟は、それぞれ自立した人間としてお互いを尊重しあっている。

やっぱり、とどぱしか勝たんのよ。

 

小田島と轟の友人関係は、轟にとって小田島みたいな人間は一番苦手な部類だろうと思っていたので本当に予想外だった。喋らないのが心地いいという轟に、辻と芝のことを思い出しつつ、小田島が轟といういじり甲斐のありそうな人間を前に黙ることもできるのかと驚いた。パンフレットを読んでいたら前田さんが「轟として対峙したとき、小田島の軽口にムカついた」的なことを回答されていたので、まあそうだろうなと納得したこともあり、本当に予想外の出来事だった。

次の作品で小田島と轟がやっぱり折り合い悪かったりしたら面白いのにな。

それともう一点、ラストシーンで轟がトランプの絵柄を見て笑うシーンはちょっと意味が測りかねてショックだった。轟のことを、(異)性愛者だと思っていなかったからだ。まさか! という意味の笑いだったらいいな。

当たって嬉しい! という笑いだったら私は落ち込む。轟、合コンになんか出るな!

 

ここに書かなかったことも含め、惜しいと感じる部分が多かったが、全体としては彼らの生き方を再び見ることができてよかったと思う。

徐々に「クローズ」側の登場人物が増え、社会的な物語というよりはごく限られたコミュニティの物語になっていく等、物語の筋立て的にも「ハイロー」から少しずつ離れていくことに改めて寂しさを感じつつ、これからも彼らの生き様を見守っていきたい。

本当にとりとめもなく書いてしまった。