おたくの文章

ミーハーです!

スカーレット

年明けからずっと朝ドラの「スカーレット」を見ている。

「スカーレット」は実在する陶芸家の神山清子さんをモデルとした、川原喜美子の物語である。

 

物語のはじまりに主人公・喜美子が父親に向かって「女にも意地と誇りがあるんじゃ〜い!」と叫ぶこの朝ドラは、そこから先もフェミニズムを描きながら進んでいく。

父親が死んで本当に悲しいけれど、同時に父親が死ぬことで"自由"を手に入れたことがすごく嬉しいと泣く喜美子の妹・直子や、「家の中のことができる女は何でもできる」と笑う大久保さん(大久保さんが誰かはぜひドラマをご覧になって知ってください)。

一人ひとりの、名前のある女性が男性優位社会のなかで生きていくさまを力強く描いている作品だ。

 

そんなフェミニズムに溢れたストーリーの中でも、私が特別に好きなシーンがある。

 

喜美子は「お守り」と呼び大切にしてきた焼き物のかけらが、穴窯というドラマ内の当時ではもう使われていない手法によって焼かれたものだと知る。

夫の八郎の勧めもあり、喜美子は庭に穴窯を作る。そして次第に喜美子は穴窯に傾倒していき、そのために喜美子に穴窯を勧めた張本人である八郎は家を出てしまう。

その事情を知った喜美子の親友である照子は、喜美子に穴窯をやめるよう説得をする。

しかし喜美子は、照子に静かに話すのだった。

「今日、はじめて誰にも許可を得ずに出かけた」

父親が生きているうちは父親に、夫の八郎がいるときは八郎に、喜美子は常に何かをする前に家にいる「男性」に許可を得ていた。説得をしていた。

 

それまでのストーリーを通してみていても、喜美子はたしかにずっと何をするにも男性の家族に話をして、許可を得ていた。

穴窯を始める直前までも、陶芸家である夫の八郎を支えることが自分の役割であり、自分が前に出て好き勝手に作品を作るなんて……という態度を取っていた。

穴窯は、そんな喜美子がはじめて得た自由だったのだ。

 

家族の中の女性たちは、国や時代によっては文字通り財産として扱われていた。そのような極端な制度が無くとも、世界中の多くの社会が今も家父長主義的な価値観によって営まれている。

そんな社会の中では、女性の意思が尊重されることはほとんどない。

2022年の今の日本社会でも同じだ。私の叔父は大学進学を希望する彼の娘に「女は4年制大学に行かなくていい」と言い放ち、上司は私の将来設計を私から聞く前に「私が男性パートナーと法律婚をして子どもを産んでパートナーが家事を一切しない家庭に居ながら会社で働く未来」の話をしている。

女性が一人ひとりの意思を尊重され、家族によって縛られることなく自己実現できる時代は、いつになったらやってくるのだろうか。

 

「自分のことを自分で決める」

喜美子は本人でも気づかないうちに家族によって縛られ、抑圧された長い生活の末に、この自由を手に入れた。

私はこのシーンが大好きだ。

自由を手に入れたと言っても、喜美子にとっては愛する夫を失うという同時に悲しい出来事でもある。そこに家族と喜美子、家族と女性あるいは恋愛と女性のある種の「難しさ」が現れているような気もする。

特に八郎は、それまでずっと喜美子の自主性を尊重しており、「ああしろ」とも「あれをするな」とも言ったことがないキャラクターだったのだ。

喜美子が受けたショックや悲しみはどれほどのものだろうか。喜美子が抱える孤独も、自由への戸惑いと喜びも、人間のままならさを感じられるシーンだと思っている。

 

さて、ずっと見続けていたスカーレットももう最終週まで来てしまった。

家族と喜美子についてずっと描いてきた物語は、息子の病という衝撃的な展開によって幕を閉じていく。

何があっても炎のような強さを持って生きてきた喜美子の結末を、見守りたい。